2022/10/14
もう、セガサターンというゲーム機すら知らない若者がいるみたいですね・・・。
最近、youtubeで【せがた三四郎】のCMを全部観ました。
そして、懐かしくて泣きました。
セガサターンをプレイしてる頃は、
僕のゲーム人生の末期でした。
お金がなくて新しいゲームが欲しくても買えない・・・という現実に思い知らされて、
昔のゲームソフト(ファミコンやPCエンジン)を中古で安価に買い始めたのもこの頃だったと思う。
要するに、今のゲームが買えないから、昔欲しかったゲームが安くなってるから買おう!という流れになっていた。
と、同時に、コレクター魂に火がつき始めたのもこの頃だった。
今では信じられないが、セガサターンの本体を5万オーバーで買った僕。
ホント、信じられない・・・。
自分でも信じられない。。。。
でも、逆に言えば、それだけ、アノ頃の僕はゲームが全てであり、生き甲斐だったとも言える。
そうだ!そうだったんだよ!
何よりも、ゲーム!
ゲームをしてる時間が一番幸せだったし、嫌な事も忘れられた。
そして、次に欲しい新しいゲームの発売日を首を長~~~くして待ち、
その発売日近くなると、もう頭の中はバラ色で何も細かい事を気にしないで、
その日の楽しみの為だけに生きているというシンプルな思考の中で楽しく生きていた頃なんだよな。
家族もみんな元気だったし、深い悩みも若いだけになかった。
今思えば、あんな幸せな5年間くらいはなかったが、
当時の僕はそんな事は思ってもないんだよな。
まぁ、仕方ない。
過ぎ去ってみないと、そんな事はわからないのは当然だしな。
せがた三四郎のCMを観ると20歳前後を思い出す・・・
95年頃だったかな。
週に3日は同じ友達と遊んでいた頃だ。
その友達もゲーマーで、いつもゲームして1日終わった。
でも楽しかったな。
せがた三四郎のCMを観て、アノ頃を思い出した。
今観るとゲーム画面は荒く汚いけど、アノ頃は夢中でやってたんだよな。
プレステと任天堂64が出て結局全部買ったっけな。。。
あれから20年。。。。。
今もゲームは大好きだ。
でも、やってる時間がない。
もし、両親が生きていて生活に困ってなかったらゲームを1日中していたい気持ちは変わっていない。
でも、今の僕にはゲームをしている余裕がない。
その余裕とは、時間でもあるし、気持ちの余裕でもある。
どちらも余裕がない。
残念だけど、これが現実だから諦めるしかない。