2022/10/14
かれこれ30年ほど前、僕が中学の頃は足利の街中に4軒の有名な映画館があった。
その内の1つが、この足利東映プラザ劇場だった。
ここの映画館には子供の頃に2回くらいお母さんに連れられて来た覚えがある。
キングコングとスヌーピーとチャーリーブラウンだったと思う。
アノ頃は同時上映なんてものが当たり前で、
1回の映画で2本の映画が楽しめたんだよな。
中央の階段を上がっていくと入り口になる。
今は上に上がれないように鉄格子がついていた。
最盛期は、この辺に飲食店や売店のテナントが立ち並んでいた。
アノ頃の活気は幼心だがよく覚えている。
映画館じゃなくてもいいから、
こういった小さい店舗がひしめき合うちょっとコジャレタ、
セレクトショップの集まり的なショッピングスペースなんかも面白いと思うけど、
ここは場所が辛いですね。。。
駐車場がどこも遠いし、路地裏の立地なので目立たな過ぎですしね。
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他の3つの映画館は跡形もなくなっている
1つは今のフレッセイの斜め向かい辺りにありました。
後期は改装して1~2年位ヴィレッジヴァンガードになっていたんだよな。
足利市民でも足利にヴィレヴァンがあった事を知ってる人は少ないかもしれない。
それくらいマイナーな感じだったな。
2つ目も3つ目も通り3丁目辺りにあった。
やはり現フレッセイから南に行ってすぐのところに集まっていた。
なので、全4映画館は、500メートル内に集中していた。
これは、足利程度の町の規模では凄い密集度なんじゃないかと思っている。
あの頃は、当たり前のようにずっとあるものだと思っていた。
時代と共に、時が経つとなくなってしまう物は多い。
物だけじゃなく建物もそうなんだよな。
ずっとあると思ってる(思い込んでる)ものがなくなると寂しくなるね。
別に、ある時は何の気持ちも起きないまま過ごしちゃうくせにね。
これって人間同士もそうなんだよな。
明日も当たり前のように存在すると思ってるから、
友達とかに腹を立てたり、嫌な気分になる事があるけど、
明日には、もう一生会えない人になってる可能性もあるんだよな・・・。
もちろん、身内の家族もね。
当たり前にいるものだと思ってる大事な人がなくなる事以上に辛い出来事って世の中にはないんじゃないかな。
【いなくなる=死別】だからね。。。。
僕はお母さんがいなくなって本当に苦しい。
死ねないから生きてるってだけの毎日。
ただ、皆に涙流して泣きついて『助けて』って叫んだところで、
お母さんは戻ってこない。
そこが重要。
金なんていらないんだよ。
お母さんがいれば金なんていらない。
逆にお母さんがいないなら、金もいらない。
だから、普段の生活では、普通を装って生きてるけど、
どうしても家で1人でいると、お母さんの最後の心情だけが僕の心にガツンガツンと入り込んできて酷くうなされる。
きっと、この気持ちは死ぬまで消えないし繰り返す事だろう。
みんなも家族は大事に、なるべく会える時会っておいたほうがいい。
友達も同じ事。
『時間が出来たら会いに行くね・・・』はやめて、次の休みには会いに行った方がいいよ。
この決断の違いで、自分を一生責めることになるし、一生後悔する事になる。
生きていくって事は本当に辛い事なんだな。
事故死や病死をしなかったら、あと20年くらい僕も生きると思う。
あと20年で、お母さんに会えると思って開き直って生きるしかない。